2017年10月10日

和暦と西暦

 先日、本を読んでいてちょっと驚いたことがありました。

 平成29年10月11日と2017年10月11日は、同じ日です。
 だから、元禄15年12月14日は、1702年12月14日と思い込んでいたのですが、これが間違い。
 今日、和暦と西暦の月日が一致するのは、明治5年12月に明治政府が太陽暦を採用したから。
 ということは、それ以前の月日は、和暦と西暦で異なるということです。

 例えば、赤穂浪士の吉良邸討ち入りは、元禄15年12月14日深夜から15日未明にかけて。これを西暦に直すと1703年1月30日深夜から31日未明にかけてということになるそうです。
 もちろん、赤穂浪士はじめ当時の人々が西暦を意識していたとは思えません。当然、当時の人々は、年末の討ち入りと理解していたでしょう。

 ちょっと、ややこしいです。こんなびっくりを教えてくれたのが高島俊男著「お言葉ですが... 2 「週刊文春」の怪」(文藝春秋 文春文庫2001.1.10)。
 それとも、そんなことは常識で、かかなくてもいい恥をかいてしまったのかしら・・・・。